小早川隆景の墓所は三原市沼田東町にある米山寺というお寺にあります。

米山寺は小早川家の菩提寺であったことから、初代から17代の隆景まで、歴代小早川家当主の墓があります。

それだけではなく、歴史本などでよく見かける小早川隆景の肖像画(国重要文化財)が保管されている、隆景とゆかりの深い寺院です。

今回は小早川隆景に所縁のある米山寺を紹介します。

米山寺へのアクセス

米山寺は1153年に天台宗のお寺として建立されました(現在は曹洞宗に改宗)。

隆景の居城であった新高山城から車で15分、三原城からは30分くらいです。

市街地から離れた山奥にあり、駐車場があるので、基本的には車で行くのがベストです。

ただ、道が分かりづらいので、必ず地図やナビで確認しながら進むようにしてください。

米山寺の重要文化財 小早川隆景の肖像画

駐車場に車を止めると、すぐ横に立派な山門があります。

山門を入ると、小早川家歴代藩主の霊廟があります。

そして、冒頭にもお伝えしたように、米山寺には、小早川隆景の肖像画が保管されています。

肖像画が保管されているのが、この宝物館。

この中に下記の隆景の肖像画があります。

米山寺 絹本著色小早川隆景像

重要文化財は博物館や資料館に展示されているイメージがあったので、三原の小さなお寺で保管されているのは意外でした。

今は変わっているかもしれませんが、昔は5人以上で1日200円の拝観料を支払えば肖像画を拝観できるようになっていました(事前に予約が必要)。

ただ、筆者は歴史に興味のある友達がおらず、常に一人行動なので、未だ隆景の肖像画を生拝観したことがありません…。

宝物館の壁は実物以上に厚いです‥w

米山寺の小早川隆景墓所

米山寺の本堂と道を挟んで反対側にあるのが、小早川家歴代当主の墓所です。

ここには全部で20基の宝篋印塔があり、隆景のお墓もここにあります。

隆景は豊臣政権下で筑前名島城となっていましたが、家督を養子の秀秋に譲り、三原城に帰ってきます。

そして65歳で亡くなると、三原の法常寺で葬儀が行われ、米山寺に葬られています。

小早川隆景の墓は墓所に向かって一番右の宝篋印塔。

すぐ横の石碑を目印にすると見つけやすいです。

小早川家歴代墓所は西日本集中豪雨で、20基中15基が土砂崩れの被害を受け、復旧工事が行われました(隆景の墓は無事だった)。

土砂崩れ前までは、柵の中に入れるようになっていたのですが、今は中に入れなくなったようなので、柵の外から手を合わせましょう。

ちなみに、隆景の跡を継いで戦国時代の小早川家の最後の当主となった小早川秀秋の墓所は米山寺にはなく、岡山県岡山市の瑞雲寺にあります。

これは、秀秋が小早川家を継いだ時、隆景は筑前の名島城を居城にしていて、その後秀秋は岡山城主となるため、三原に所縁がないためだと思われます。