日本三景の1つ『安芸の宮島』。
有名な観光地だけあって、毎年多くの観光客の方が訪れています。
これは今に始まったことではなく、神聖なる場所として信仰されていた宮島には昔から多くの著名人が足を運んでいたようです。
宮島や厳島神社に訪れたり、関連のある人物をピックアップしてみるとその豪華さがよく分かります。
皇室の方々
厳島神社の奥にある大聖院は、元々皇室と強い結びつきがあるお寺ということもあり、明治天皇が宮島に行幸された際には旅館ではなく大聖院にご宿泊され、それ以降も歴代天皇陛下が宮島に来島されています。
- 有栖川宮熾仁親王殿下
- 明治天皇陛下
- 大正天皇陛下
- 昭和天皇陛下
- 今上天皇陛下
歴史上の偉人
そして、お次は宮島を訪れた歴史上の偉人。
今回は宮島の老舗旅館の岩惣さんが公開されている宿泊記録と廿日市市の観光課が運営されているHPを中心にまとめてみました。
改めて一覧にしてみると層々たるメンバーです。
歴史が好きな人にとっては思わず反応してしまう名前も多いのではないでしょうか?
平清盛
現在の厳島神社の原型を作ったとされる平清盛。
『平氏でなければ人にあらず』と言われるまでに栄華を極めた平家一門の頭領です。
視聴率は伸び悩みましたが大河ドラマの主人公にもなり、宮島と関わりのある偉人と言えば一番に名前が出てくる人物ではないでしょうか?
足利義満
室町幕府三代将軍。
金閣寺の造営したことで知られています。
アニメ、一休さんに登場する将軍もこの足利義満です。
将軍職を務めている時期に厳島神社に参詣しています。
フランシスコ・ザビエル
キリスト教の宣教師。
旅の途中に厳島神社を訪れたと言います。
ザビエルからすると、異国の宗教の建物ということになりますが、初めて厳島神社を見たときザビエルは何を感じたのでしょうか?
毛利元就
一代で中国地方を治めるまでに勢力を拡大した戦国武将。
その強大な勢力を警戒した織田信長も一時は毛利家との友好関係を築いていたくらいです。
毛利元就は聖域とされた厳島神社で陶晴賢(すえはるかた)との合戦を起こしていますが、厳島神社に対する信仰心がとても強く、社殿の造営などに力を入れています。
現在の厳島神社の社殿には毛利元就の時代に寄進されたといわれるものが数多くあります。
吉川元春
毛利元就の次男で、生涯76度の合戦の戦績は64勝12分け。
負けを知らない武将として有名で、父元就に従い厳島の戦いにも参戦していました。
厳島の戦いの際は、敵が放った火で『厳島神社の社殿を焼失しては毛利家の恥となる』として、敵が攻めてきている最中も消火活動を優先させたと言う男気のある逸話が残っています。
ちなみにこの吉川元春は、広島県出身のミュージシャン・吉川晃司さんのご先祖様です。
小早川隆景
毛利元就の三男で、豊臣秀吉が天下を取ってからは五大老に就任しています。
九州征伐や朝鮮出兵でも武功を上げた名将で、秀吉が天下の政(まつりごと)を取り仕切れる人物と評しています。
安国寺恵瓊
関が原の合戦の際、石田三成と共に西軍の中心人物となった僧であり戦国大名。
現在宮島にある千畳閣は豊臣秀吉の命を受けた安国寺恵瓊が造営したもの。
豊臣秀吉
天下統一を成し遂げた後、宮島の大聖院で歌会を開催したり、念持仏(身近においておく仏様)である波切不動明王を奉納するなど、宮島のゆかりの深い豊臣秀吉。
秀吉はかなり宮島を気に入っていたようで、安国寺恵瓊に千畳閣の造営も指示します。
ただ、千畳閣の造営中に秀吉が亡くなってしまったため、千畳閣は完成することなく、未完成のまま現在に至っています。
石田三成・大谷吉継
豊臣秀吉の兵糧奉行であった2人は九州征伐の途中に宮島に立ち寄っています。
福島正則
中国地方を治めていた毛利輝元が関ヶ原の戦いで敗れた後に広島城主となった福島正則。
現在、厳島神社にある能舞台は福島正則が寄進したものとされています。
広島城の無断修築を咎められ、19年で川中島に転封。
伊能忠敬
当時の技術で極めて正確な日本地図を作った伊能忠敬。
日本全国を歩き回って測量している忠敬なので、もちろん宮島にも足を運んでいます。
この時は大聖院を本拠地として測量を行なったようです。
無事、日本地図が完成するように厳島神社で祈願した事は間違いないでしょうね。
勝海舟
江戸時代末期、第二次長州征伐の和平交渉のために宮島を訪れた勝海舟。
坂本龍馬の師匠としても有名です。
厳島神社の先にある大願寺で桂小五郎や井上馨らと会談しています
吉田松陰
幕末の思想家であり兵学者でもある吉田松陰は、厳島の戦いの検分のために宮島を訪れています。
勉強熱心な吉田松陰なので、実際に自分の足で島内を歩き回って実地検分をしたんでしょうね。
全く関係のない話ですが、吉田松陰は当ブログ管理人の心の師匠です(笑)。
桂小五郎
後に木戸孝允と名前を改める明治維新三傑の1人。
写真を見て分かるとおりのイケメンで、天が二物を与えた人物です。
第二次長州征伐の講和会議で勝海舟と会談するために宮島に来島。
大願寺には今もこのときに会談に使用された部屋が当時のまま残っています。
井上馨
井上馨も第二次長州征伐の際の休戦会談に参加したメンバー。
明治44年にも岩惣に宿泊している記録があるので、宮島には度々訪れていたのかもしれません。
伊藤博文
弥山に祀られている三鬼神を厚く信仰し、宮島にも度々訪れていた事で有名な伊藤博文。
岩惣を常宿としていたことやもみじ饅頭の誕生に関わっている人物として有名です。
弥山の登山道を自費で修繕するなど、初代総理大臣は宮島に大きく貢献されています。
夏目漱石
『我輩は猫である』、『坊ちゃん』などの作品を残した小説家。
分かりやすく言うと、今の1つ前の千円札に肖像が使われていた人です。
夏目漱石も宮島を訪れ、岩惣に宿泊されていたようです。
文豪と老舗旅館、なんとも趣のある組合せです。
アインシュタイン
お次ぎは海外のお客様。
天才物理学者であるアルベルト・アインシュタインも宮島を訪れています。
宿泊したのは現在のみやじま杜の宿(国民宿舎)がある場所に建っていた宮島ホテル。
海外の天才物理学者まで引き寄せるとは、宮島の紡ぎだす縁には凄いものがありますね。
ヘレン・ケラー
福祉活動家であるヘレン・ケラーは2回宮島を訪れています。
ヘレン・ケラーが大鳥居の見える御笠浜の石灯籠の横で撮った写真が残っています。
桂太郎
内閣総理大臣や陸軍大臣を務めた政治家。
同じく長州藩の先輩である伊藤博文と同じく、宿泊したのはもちろん岩惣。
森鴎外
舞姫を書いた文豪も岩惣にご宿泊。
岩惣に宿泊すると、紅葉谷の景色や鹿を見ながら仕事ができるので筆が進みそうですね。
私もいつかは岩惣で仕事を・・。
東郷平八郎
当時、世界最強と謳われていたバルチック艦隊を破った軍人。
東郷平八郎は神格化され、世界的にも名の知られた軍人さんとなっています。
山本五十六
山本五十六は日本海軍の軍人。
何と言っても有名なのが下記2つの名言です。
「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」
「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」
まとめ
今回は宮島を訪れた歴史上の偉人をざっとまとめてみました。
一覧でみると層々たるメンバーではないですか?
こういった方々が訪れたという情報を知った状態で宮島を歩いてみると、とても感慨深いものがあります。
それにしても、岩惣さんの宿泊記録をは歴史上の偉人の宝庫ですね。
【参考】
今回の記事は下記のサイトを参考にさせて頂きました。