広島の観光名所として外せない広島城。
原爆で倒壊してしまったために、天守閣は現存しているものではありませんが、城内には沢山の見どころが残っています。
そこで今回は、大のお城好きで「歴史・城郭ライター」として活動している筆者が、広島城の特徴や見どころを分かりやすく解説します。
駐車場の場所や効率的に回るモデルコースも紹介するので、「観光の前に広島城の見どころを予習しておきたい。」という方は参考にしてください。
【概要】広島城はこんなお城
広島城は毛利元就の孫である毛利輝元が築城したお城です。
城は太田川の河口に築かれた平城で、設計には大河ドラマでも話題になった黒田官兵衛が参加しています。
「毛利の城なのになんで黒田官兵衛が?」と思うかもしれませんが、黒田官兵衛は毛利氏と仲が良かったので、アドバイザー的な役割で設計に協力したと言われています。
天守閣は戦前まで残っていましたが、原爆によって倒壊しています。
そのため、現在の天守閣は鉄筋コンクリートで復興されたもの。
二の丸の表御門や多門櫓は当時の資料を基に木造で再建されています。
1591年、毛利輝元はこれまで本拠地にしていた吉田郡山城から広島城に入城しますが、1600年の関ケ原の戦いに負けて萩に転封になるので、城主であった期間は10年もありません。
輝元の城主となった福島正則が広島城の改築を行っているので、現在の広島城の遺構は福島正則が城主の時のものがベースになっているとされています。
ただ、その福島正則も江戸幕府に無断で城を修理したという理由で川中島に転封。
その後は浅野氏が広島城の城主となって、明治維新まで続きます。
【住所】
〒730-0011 広島県広島市中区基町21-1
【開館時間】
天守閣 9:00~18:00(入館は17:00まで)
二の丸 9:00~17:30(入館は17:00まで)
時期によって開館時間が変わるので詳しくはホームページで確認してください。
⇒広島城HP
駐車場とアクセス方法
広島城へのアクセスはバスかアストラムラインを使うのが便利です。
バスなら「広島城(護国神社前)」か「合同庁舎前」で下車すれば、歩いて6分くらいで着きます。
広島駅南口前バスのりばBホーム7・8・9番のりばから合同庁舎前経由のバスに乗ってください。
また、アストラムラインを利用する場合は「県庁前駅」で下車すれば、10分くらいで到着します。
車で行く場合、広島城には駐車場がないので、近くにある広島中央駐車場を利用するのがベスト。
中央駐車場は広島城から近いだけでなく、天守閣に入場すると駐車料金の割引サービスが受けられます。
広島城見学には一番おすすめの駐車場なので、ぜひ利用してください。
ちなみに、中央駐車場は元々広島城の中堀があった部分です。
広島城の観光モデルコース
という訳で、ここからは広島城の遺構を順にみていきましょう。
広島城には表御門と裏御門の2か所の入り口があるのですが、効率よく回るには表御門(二の丸)からスタートするのがおすすめです。
二の丸の表御門
まず最初に見えてくるのが復元された二の丸表御門。
城内に入ると横に長細い多門櫓が見えます。
この二の丸の櫓や表御門は無料で中に入る事ができるのですが、資料を基に忠実に復元されているので、鉄砲狭間や格子窓などのつくりも本格的で見ごたえがあります。
また、櫓の中に毛利元就が三人の息子に宛てて書いた「三子教訓状」の現代語訳があります。
これは毛利元就の人柄を知るのに最高の手紙なので必見です。
二の丸を城内から見るとこんな感じ。
広島城の二の丸は馬出しの機能を備えた場所で、城が攻められた時などはここから出撃することになっていたので、城内からは見やすく、城外からは見えないようになっています。
中御門跡
下の写真は中御門という門の跡で、直角に折れ曲がって敵の進路を変えると共に、背後や側面から攻撃できるようにしてあります。
この写真のクランクを曲がったところに門があって、敵の侵入を阻止し、立ち往生している敵に横と背後から攻撃できる作りになっています。
本丸跡
中御門を抜けると2段に分かれた広いスペースがあり、ここが広島城の本丸になります。
下段には護国神社が建てられています。
天守閣に向かう階段を登ると、そこが本丸の上段になり、江戸時代には本丸御殿が建っていました。
近代になると広島県庁舎が建てられ、日清戦争の際にはその建物が大本営として利用されています。
日清戦争の時にはここに大本営が置かれ、天皇陛下が滞在されていたので、一時的にですが広島は日本の首都となっていました
大本営の側には天守閣の礎石が展示されています。
天守閣
本丸を北西に進むと広島城の天守閣が見えてきます。
天守閣の中は博物館になっていて、当時の甲冑や書状などが展示してあるので、ぜひ天守に登ってみてください。
特に、ほぼ当時のままの姿で発見された金箔を使った鯱瓦(しゃちほこ)は必見です。
【入場料】
- 大人 370円
- 65歳以上 180円
- 高校生 180円
- 中学生以下 無料
そして、観光で広島城を訪れる方は天守閣を見たらすぐに帰ってしまうのですが、広島城の見所はまだまだあります。
天守閣をでたら南小天守の石垣の傍にある階段で石垣の下におりて、天守閣の周囲を歩いてみましょう。
現在は天守閣の下は立ち入り禁止になっています。
真下から石垣と天守閣を見上げてみると、また違った雰囲気のお城が楽しめます。
このあたりの石垣は苔むしていて雰囲気が出ています。
本丸北東の石垣
そして注目したいのが下の石垣です。
右側と左側で石垣に使われている石の種類が違います。
これは、毛利輝元に代わって広島城の2代目城主となった福島正則が崩れた石垣を修復した部分だと言われています。
左側の加工した石を積まれている方が新しい時代の石垣です。
このように比較してみると分かりやすいかも知れませんね。
時代の古い毛利氏時代の石垣は自然石をそのまま使い、福島氏時代の石垣は加工した石を使っています。
こうして比較してみると、戦国時代から江戸時代にかけて石垣を造る技術が進歩した事が分かります。
福島正則が破却した石垣
しかし、この後に福島正則は江戸幕府に無断で石垣を修復したと言う理由で領地を没収されてしまいます。
当時、お城を修理したり改築したりする場合は、江戸幕府の許可が必要でした。
しかし、福島正則は許可を取ることなく増水で壊れた石垣を修理してしまい、川中島へ減封されています。
届出をしたのに受理されなかったので修理を強行したなど、色々な説があります。
福島正則は幕府からの指摘を受けて修理した部分の石垣を破壊したとされますが、その時に壊したとされる部分が今でもそのまま残っています。
破壊された石垣は、本丸の北東部分にあります。
広島城を歩くと見つけることができる沢山の遺物
広島城天守閣は原爆投下によって一度浮き上がり、北側に崩れ落ちたとされています。
その後、木材などは生活に困った人たちが利用したと伝わりますが、瓦などはそのまま放置されているので、地面を見ながら歩いていると多くの瓦が埋まっているのが分かります。
東小天守付近の地面には誰かが掘ったのか、広島城の瓦が露見していました。
(もちろん史跡なので地面を掘ったり、遺物を持ち帰ったりしてはいけません。)
広島城に訪れた際は、こういった部分にも目を向けながらお城めぐりをしてみてください。
まとめ
広島城は天守閣に登って周辺をゆっくり巡るコースだと、所要時間(見学時間)は45分~1時間30分くらいかかります。
今回は戦国時代の広島城の見所を中心に紹介しましたが、城内には護国神社や原爆関連の史跡も点在しているので、全部見ようと思ったら2時間くらいを目安にしてください。
【住所】
〒730-0011 広島県広島市中区基町21-1
【開館時間】
天守閣 9:00~18:00(入館は17:00まで)
二の丸 9:00~17:30(入館は17:00まで)
時期によって開館時間が変わるので詳しくはホームページで確認してください。
⇒広島城HP